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名古屋地方裁判所 昭和38年(ワ)628号 判決 1963年10月31日

原告 木下嘉

被告 日本電信電話公社

訴訟代理人 上野国夫 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、被告は原告に対し金二十五万九千二百五十一円及びこれに対する本件訴状が被告に送達せられた日の翌日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わねばならない。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、請求の原因として、(一)原告は昭和三十六年三月十日訴外石黒直の名古屋中央電話局中分局二四局三七一六番の電話加入権を代金金二十五万円で買受けることとなり被告中分局の譲渡承認を求めて同日その承認を得右代金を訴外田村久男に支払つて右電話加入権を取得した。(二)然るに訴外石黒直はその後右譲渡は訴外堀喜良が右石黒直の承諾なく、その印を盗用して電話加入権譲渡承認請求書を偽造行使して右譲渡承認を受けたもので無効であるとの理由で原告を被告として名古屋地方裁判所に対し右電話加入権譲渡承認請求訴訟(同庁昭和三六年(ワ)第四八一号)を提起した結果昭和三十七年十月十二日右石黒直の勝訴判決が確定し、原告は余儀なく同年十一月八日右石黒直に対し右電話加入権の再譲渡手続をとつた。(三)原告は右石黒直の申請により右訴訟に先立ち昭和三十六年四月右電話加入権につき処分禁止の仮処分を受けたため爾後右昭和三十七年十一月八日まで右電話加入権を全く利用できないまま結局これを喪失したため右売買代金金二十五万円及び昭和三十六年五月分以降昭和三十七年四月分に至る一カ月金五百六十円の割合による計金六千七百二十円、同年五月分金六百四十一円、同年六月分以降同年八月分に至る一カ月金六百三十円の割合による計金千八百九十円の各右電話加入権基本料金合計金九千二百五十一円以上総計金二十五万九千二百五十一円の損害を蒙つた。(四)被告は電話加入権者より当該電話加入権の譲渡承認請求があつたときは公衆電気通信法第三十八条第一項の法意に則り、拡大鏡及び透かし板の使用により、拡大及び透視の方法により届出済の加入権者の印鑑の印影と譲渡承認請求書に押捺せられた請求者たる加入権者の印鑑の印影とを善良なる第三者の注意力をもつて照合検討し、或は人違の有無をも確め若しこれらが相違する場合はその譲渡承認を拒否して無権利者のする電話加入権の違法な移転とそれに伴う損害の発生を未然に防止し、もつて電話加入権の公益性とこれに対する利用者の信頼並にその公平な流通を維持すべき業務上の注意義務があるというべきところ被告中分局はこれを怠り訴外堀喜良作成の右電話加入権譲渡承認請求書に押捺せられてある右石黒直名義の印鑑の印影と届出済の同人の印鑑の印影とが一見して明らかに相違するにもかかわらず、恐らく事故の殆んどない毎日の経験に甘え馴れて本件の場合も間違のないものとの予断の下に請求者の確認をなさずただ数分間におけるおざなりの印影の折合せ照合のみにより漫然これを同一なりと認めてこれが譲渡承認を与えた過失により原告に右損害を加えたものであるから被告は原告の右損害を賠償すべき義務がある。よつて原告は被告に対し右損害金二十五万九千二百五十一円及びこれに対する本件訴状が被告に送達せられた日の翌日以降右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べた。

被告は主文と同旨の判決を求め、答弁として請求の原因たる事実(一)の中右電話加入権につき譲渡申請がなされ、被告がその譲渡承認をした点、同(二)の点、同(三)の中訴外石黒直の申請により処分禁止の仮処分決定のなされた点を認め、爾余の点を争い、ただ右電話加入権の基本料金が昭和三十七年四月までは一カ月金五百六十円、同年五月は金六百四十円、同年六、七月、八月は一カ月金六百三十円であり、昭和三十七年八月分までは原告が支払つたことを認め、公衆電気通信法(昭和二八年法律第九七号)第三十八条第一項は電話加入権の譲渡は公社の承認を受けなければその効力を生じない。と規定し、右承認は電話加入権に関する私人間の譲渡契約の効力発生要件たるに止り、私人間における基本たる譲渡契約が無効であるときは、承諾があつてもこれを有効化するものないことは明らかであり、又同法同条第二項は公社は前項の承認を求められたときは電話加入権を譲受けようとする者が電話に関する料金の支払を怠り、又は怠るおそれがあるときでなければその承認を拒むことができない。と規定しこれを同条第一項と対比して考察すれば承認が効力要件であるとされたことの趣旨は専ら電話に関する料金の支払の確実を期し、もつて公社の財政の健全を確保するためであり、よつて譲渡承認申請のなされた場合公社は譲受人の料金支払の可能性の点のみについて審査する権利義務を有するに過ぎないことも明らかである。これによつてこれをみれば被告には原告所説の如き注意義務の存するいわれはなく、右譲渡契約は私人間において実質上の権利者並にその代理関係等を十分調査してなさるべくこれが注意義務は譲受人たる原告自身に対して要求せられるところである。電信電話営業規則(昭和二八年八月一日日本電信電話公社公示第一五〇号)第二百二十四条第一項本文には電話加入権の譲渡の承認を受けようとするときは当事者の連署した電話加入権譲渡承認請求書を所属電話取扱局に差出すものとする。と定められており、本件譲渡承認申請に当つても原告は譲渡人を訴外石黒直、譲受人を原告とせる請求書を被告公社に提出している。ところで原告は右承認申請は真実に反するものであり、これを看過してその承認をした被告に責任があると主張するのであるが仮に原告にその主張の如き損害が生じたとするも被告に対する関係においてはそれは一に被告に対し真実でない譲渡承認申請をした原告自身においてそれを負担すべきであり、被告に対してこれが賠償を請求するいわれはない。仮に被告に原告主張の如き注意義務があるものとするも本件譲渡承認をなすにつき被告には過失は存しない。即ち被告は、事実上の扱いとして電話加入権者に対し印鑑届をなすことを求め、かつ被告との関係では届出印鑑を使用するよう要請しており、右石黒直からも右により印鑑届はなされていた。原告は右譲渡承認申請に際して提出せられた関係書類に押捺せられた右石黒直名下の印影は右届出済の印影と対比して一見明らかに相違すると主張するもこれは事実に反する。被告は右譲渡承認をなすにあたり右両個の印影を窓口担当者訴外日比野香、主任同榊原新一、営業課長同多賀貞吉の三名において夫れ夫れ相互に折曲ぐるなど入念に照合検討して相違ないものと認めたものであり、右両個の印影はこれを対比すれば明白なとおり、印鑑等につき特殊専門知識を有しない一般人からすると到底その相違するものとは考えられず、被告においてこれ以上審査すべき義務はない。仮に被告にこの点について過失があつたとしても原告の損害についてはその大半の帰責事由は原告にある。却ち原告は右電話加入権を取得し得なかつたのは訴外堀喜良の無権限の行為によるものと主張しており原告は右訴外人の権限の有無につき充分の調査を尽すことなく軽卒にも同人にその権限の存するものと誤信しこれと交渉の上右譲渡契約を結び被告に対しても真実に反する承認申請を行つた原告自身に重大なる過失の存するものというべく、よつて生じた損害の大半は原告において負担すべきであるので被告は過失相殺を主張する。と述べた。

証拠<省略>

理由

請求の原因たる事実(一)の中名古屋中央電話局中分局二四局三七一六番の電話加入権につき譲渡承認申請がなされ、被告がその譲渡を承認した点は当事者間に争なく、証人田村久夫の証言により真正の成立を認めることのできる甲第一号証、成立に争のない乙第一号証、第二号証の一、二、右証言によると爾余の点を認めることができ、前同(二)の点は当事者間に争なく、前同(三)の中原告が右石黒直の申請により右訴訟に先立ち昭和三十六年四月右電話加入権につき処分禁止の仮処分を受けたことも当事者間に争なく、右電話加入権の基本料金が昭和三十七年四月までは一ケ月金五百六十円、同年五月は金六百四十円、同年六月、七月、八月は一ケ月金六百三十円であること並に昭和三十七年八月分までは原告がその支払をなしたことは被告の自認するところにして、これと成立に争のない甲第二号証の一乃至十二及び前記甲第一号証によると被告は合計金二十五万九千二百五十円の損害を蒙つたことが推知できる。而して公衆電気通信法第三十八条第一項が電話加入権の譲渡は公社の承認を受けなければその効力を生じない。と規定していることは明らかなところで、被告公社の承認が電話加入権の譲渡の効力発生要件とせられているのであり、電信電話営業規則第二百二十四条第一項本文に電話加入権の譲渡の承認を受けようとするときは当事者の連署した電話加入権譲渡請求書を所属電話取扱局に差し出すものとする。と定められ、被告公社は事実上の扱として電話加入権者に対し印鑑届をなすことを求め、かつ被告公社との関係では届出印鑑を使用するよう要請しており右石黒直からもこれが印鑑届のなされていたことは被告の自認するところであるので被告は譲渡人を右石黒直、譲受人を原告とする前記本件電話加入権の譲渡承認請求書が提出せられた際善良なる第三者の注意力をもつて右石黒直の届出済の印鑑の印影と右譲渡承認申請書に押捺せられた同人の印鑑の印影を照合検討するなどして間違のないようにしその間における不正乃至損害の発生を防止すべき注意義務のあることが明らかである。公衆電気通信法第三十八条第二項の規定等に立脚して被告にその義務の存しないとする被告の所説は論理に飛躍の廉を存し首肯し難い。然るに前記乙第一、第二号証、鑑定人兵藤栄蔵の鑑定の結果によると右石黒直の被告公社に対する届出印鑑の印影と右譲渡承認申請書に押捺せられた同人名義の印鑑の印影とは極めて精功酷似し善良なる第三者の注意能力をもつてしてもその真偽の発見は不能にして、日常窓口事務に携る係員例えば市町村の印鑑証明係又は銀行出納係の如き印章乃至印影を多々取扱う者においても直観操作又は印影相互を折重ねて比較する程度の検査にては同様その真偽の発見は至難にして、鑑別の技術者においてすら肉眼視ではこれが真偽の鑑定容易ならず、鑑別知識者として拡大鏡乃至透し板等の使用により相当時間を費し科学的検討を加えて始めてその鑑別をなし得ることが認められ、電話加入権譲渡承認申請書を受付審査する被告公社の係員にかかる高度の専門的鑑別を求むることは一般にも不便を強い、相当でなく、右説示並に右乙第一、第二号証、証人多賀貞吉同榊原新一、同日比野香の各証言を合せ考えると被告公社の本件電話加入権譲渡承認申請書の審査は窓口係員及び担当課長等三名により右両個の印影の折重ね等により数分間に亘り慎重に行われていて相当であり、同係員等に原告所説の如き高度の専門的鑑別を期待し得ない以上本件事故は不可抗力的に惹起せられたものとする外なく被告にこの点に過失の存するものとはなし難い。

よつて爾余の争点について判断をなすまでもなく原告の本訴請求を失当として棄却し、民事訴訟法第八十九条により主文のように判決する。

(裁判官小沢三朗)

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